なぜ保育実践を『書く』なのか?
『アオアシ』内で行われているように「言語化」は口頭で話しても良いのでは?自分の脳内で考えるのでも良いのでは?という疑問も湧き上がってくると思います。
誰かに話しても、自分の脳内で考えても、言葉に置き換えていることに間違いはありません。「それでもいいんじゃないか?」確かにそれでも言語化しているので、何も考えない・何となくのようなフィーリング頼みに比べれば十分良いです。では、なぜ『書く』なのかを説明したいと思います。
- 「書く」という事はより丁寧に書かなければ細かなニュアンスまでを読んだだけでは分からないので、理解ができるように書くにはより緻密な「言語化」が必要となる。
- 書くという行為には必然的に時間がかかり、その時間の分だけ自分の実践と向き合う事ができる。
- 書いた後の他者との『内容考察や実践の検討』に繋げていくとさらに充実したものになるため。
書いた後に内容考察や実践検討をする機会がある場合もあります。他者に見せて理解してもらえるように書いていく必要もあります。
自分は一番の教材となります
他者の保育実践は中々出回ってこないですよね。研修会などに行けばそのような場面もあるかもしれませんが、通常ではあまりあり得ません。
その反面、「自分の実践」はお分かりかと思いますが毎日のように湧いてくることになります。教材に事欠かないですので学び続けることができます。
もし、「自分の実践なんてあまりないよ!」と思ってしまったあなた・・・
自己実践から学ばなくなったものに成長は期待できない
見出しは少し過剰な書き方かもしれませんが、自己の保育実践から学ばなくなったものに成長は期待できないと思っています。
教科書やテキスト、このようなブログなどのネットの記事。子どもとの関わり方、応対方法、テクニックなどが多く書かれていますが、あくまでも「一般的であり、万人に当てはまる訳ではない」のです。子どもが1人1人違うのと同様に大人である我々支援員も1人1人違うのです。その個性・性別・年代・趣味・思考・環境の違いから小手先のテクニックだけでは正直どうにもならない場面も多く出てくることでしょう。
もちろん一般的な理論や知識を学ぶことも重要です。どちらも重要であるため両方を並行して学んでいかなければならないという事になります。
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