自己肯定感という呪縛について
昨今の日本、特に子どもに関わる場所での単純な「自己肯定感を高めよう」のような発想に正直私も疑問を持っていました。
自己肯定感を高めよう!と多くの人が言っているのですから、「高くない人、高くないと思っている人は良くない・ダメな人」だと勘違いを招く事にもなってしまいます。
『本当に有効な自己肯定感の高まり』ではなく『付け焼刃的な自己肯定感を高める事が目的』となっているようなこともとても多く目にします。
学童保育の世界でも単純に「少しでもできたらほめましょう、成功体験を積ませましょう」とすぐに言っている人が多く存在することは事実となっています。
薄っぺらい誉め言葉や本人の理解をしていない成功体験に果たして効果はあるのでしょうか?その一時・一場面では効果があり、自信も湧き出て・信頼関係も高まる気はしますが、少し先のことを考えると何の意味も持たないと思っています。
コマは見つかりませんでしたが”ブルーロック”という漫画からの引用となります。成功体験についての1つの解釈が載っていました。
”仕組み”(メカニズム)を理解していない成功体験は自分を苦しめる呪いに変わる。
ブルーロック 170話より
”自己肯定感を高める事だけが目的の方法”ではその当人を苦しめるだけになってしまう事にもなってしまうという事です。
成功した理由や原因を自分でも理解した上での成功体験でないと・・・なんとなくうまくいった事ってもう2度と起きない事も多いですよね。。。
成功や賞賛という結果が得られたにも関わらず、もう1度望んでも行動や結果に”再現性”が伴わなかったり、理想とする自己とは違った方向へとつながってしまい結果的に”自信をなくしてしまう”なんていう逆の事態を招く事もあります。
先生などの子ども達に関わる大人たちは良かれと思っての行動なのにも関わらず、「呪い」となってしまうなんて自分も相手も苦しい事ですよね。
ほめる事も成功体験を積ませることも全てが良くないという事ではありません。自己肯定感を高める事を目的としてしまっていることが良くない事だと思います。
最後に
「自己肯定感」という概念はここ何年かで急速に普及してきているという事が分かりました。確かに子ども~学生時代に大人から言われたことは私自身はありませんでした。むしろ気にしたこともありませんでした。
「個人の目標や向上心」によっては周りからは自己肯定感が低いように見られることもあるし、「厳しすぎる環境下」では本人がいくら成功しようが結果を出そうが一向に高くならないという事でもあります。
今回紹介した”自己肯定感という呪縛”から私の感じたポイントをいくつか最後にまとめておきたいと思います。その他にも紹介しきれない事もありましたので、興味がわきましたら是非とも読んでみて下さい。
『自己肯定感』に囚われすぎていると「謙遜している」ことも人によっては「自信が無い」と捉えてしまう人もいるなどが分かりやすい例かと思います。
1つ例を挙げてみましょう。
Aさん当人は個人の目標に着実に近づいている実感はあるが、Aさん自身まだまだという意識を持っているため、発言等は控えめにしている。(謙虚)
なのでAさん自身の感じている【自己肯定感は全く低くないという状況】なのですが、関わっている人BさんはAさんの事を【いつも自信なさげで自己肯定感が低そうに見てしまう】。その為、Aさんがもっと自信を持てるようにBさんが自己肯定感を高めるように働きかけてしまう。(自信が無く見えた)
Bさんからの働きかけを受けてもAさんは何がしたいのかよくわからずもやもやしてしまう。
自己肯定感についての何とも間抜けな例です。自己肯定感が高い方が良い・高めよう・意識しての行動をしているとこのような事も起こりそうです。
Aさんについても自己肯定感について囚われすぎず、観察やコミュニケーションをとっていれば両者にとってもやもやした結果にはならずに済んだと思います。
現代の日本で多くの方が意識しているような自己肯定感は様々な状況下で変化が大きく、高ければ良く、低ければ良くないという単純な構図で考えることができません。自分自身についても、他者との関わりが必要な方も『自己肯定感』にあまりにも頼り切って考える事は危険が伴う事かもしれません。
自己肯定感に安直に考えていくことや、頼り切っていた人はこれを気に頭を切り替えてみる事も良いのではないでしょうか?しっかりとした理解や取り組みがないとただの流行の追いかけになってしまいそうです。
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